President file
8

ひたちコミュニティ放送
代表社員  椎名 敦史さん

市議会議員から放送局長へ
行政と市民との架け橋精神が生きる

1955年生まれ。日立市出身。地元企業に入社後、地域貢献活動に参加。今年4月まで日立市議会議員として4期務める。地元の経済活性化の一環としてコミュニティー放送の設立に参加。

Owners Company
FMひたち82.2MHZ
TEL.0294-33-5689
日立市助川町1-9-16

東日本大震災でも情報発信続ける
自らマイクを握り、市民へ生活情報を届ける

放送の過疎地帯と言われた日立市にコミュニティー放送局「FMひたち」が開局したのは昨年2月。日立市内は海岸と高鈴山系の山に挟まれ、ラジオなどの電波の届きにくい地域でした。

そこで、地域コミュニティー放送の必要性が以前から市民の間から強く求められており、県内4番目のコミュニティーFMが誕生することになったのです。

試行錯誤の1年が過ぎ、現在は主に日立市内の情報や市民活動を番組の中で取り上げ、今では多くの市民に愛される地域放送局として定着する放送媒体となりました。

運営母体は、中心商店街が中心となって立ち上げた「ファイトマイタウンひたち協同組合」。

椎名さんは放送局の立ち上げからスタッフの一員として関わり、放送が開始されてからも慣れない機材の操作や屋外でのサテライトスタジオの設営やイベントの運営進行などさまざまな仕事に取り組み、コミュニティーFMを支えてきました。

正式に放送局長に就任したのは今年5月からでした。それまでは勤めている会社の労組出身の市議会議員として議会活動を展開。

市民の代弁者としてさまざまな市民活動を行って来た実績がありました。

県北の中核として繁栄してきた日立ですが、中心市街地の商店街はシャッター通りとなり、街からにぎやかさが失われつつあります。

そこで、少しでも街に明るさと活気を取り戻そうと、商店街に一角の「よって家fm」内と駅前のイトーヨーカドー店内に常設のサテライトスタジオを設け、パーソナリティーとリスナーとのお互いに顔が見える放送も実施しています。

2月28日に無事に2周年を迎え、新年度に向かって体制も新たに頑張ろうとした矢先。3月11日の震災が発生しました。

当日は「すぐ近くのスーパーへ打ち合わせに行っていて、これは大変だと市役所へ戻りました。そこで災害対策本部が立ち上がったので、情報を得ると資料を持って局へと走りました」と振り返ります。停電時のための無停電電源装置(UPS)を使い、放送は続行。局にいたスタッフとともに津波到達を伝える災害情報などをいち早くリスナーへ伝えたのでした。

さらに局内のUPS電源が切れると、さらに大きなUPSがある鞍掛山の送信所内に簡易放送システムを構築、そこで避難所や道路状況やライフラインなどの情報を伝え続けました。きめ細かな情報は多くの市民に災害状況を正確に伝え、無駄な混乱を防ぐことにも役立てられました。

翌日は商店会の会員から発電機を借り受け、放送を続行。

給水や緊急医療を受け入れる病院、学校や保育所の情報などを発信し続け、震災直後から一日も休まず、電波を飛ばし続けたのでした。

「私一人ならこんな時だからと、放送を中止することもできたのですが、局のスタッフたちが自宅が被災して大変な状況にあるのに『放送は続けよう』と頑張ってくれたので、放送を続けることができたのです。私も災害本部と局との間を1日に何回も往復しましたが、みんなの力でやってこれました」と、社会的な使命感を放棄しなかった結果が多くのリスナーの共感を得たのでした。

運営が協同組合とはいえ、民間放送局はCMなどが収入源。震災によりCMがキャンセルになるなど経営状況は厳しい状態に陥りましたが「放送でみんな頑張って乗り越えていこうーと呼び掛けたら、早速、応援メールが届き、コミュニティー放送としての責任を一層強く感じました」と椎名さん。

災害時などにこそ聞いてもらえるコミュニティー放送として十分に本領を発揮しましたが、椎名さんは「まだ1年で十分な体制が取れなかったのが悔やまれます。この震災を契機に災害時の人材確保や機材などの充実を図りたい」と新たにプロパン式の発電機など購入。

万が一への備えも怠りません。

 放送局は一見華やかな現場のように思えますが、その裏側には毎日多くの人が関わり合い、番組を作り上げていきます。

FMひたちでは朝と昼、夕方に日立市並びに周辺市村の情報番組を編成。

さらにオリジナリティーあふれるバラエティー番組なども折り込んで、放送を組み立てていきます。局長自ら番組の収録も行い、CMなどの営業活動にも力を注いでいます。

FM日立には地元出身で中央で活躍するミュージシャンのカツミさんや大塚理恵さんなどもボランティアに近い形で協力。

教育的な観点からも地元日立二高の生徒たちをもパーソナリティーとして参加させるなど多くの市民を巻き込んでいます。

番組ではさまざまな活動で著名な市民も多くゲスト出演して、地元の放送局を盛り上げようと協力を惜しみません。さらに地元ヒーロー「サンライザーK」なども誕生。

放送ばかりではなく、年間を通してイベントも開催、放送を街の活性化に結びつけるために多面的な事業を展開し、工都の商店街に人を呼び戻そうと懸命な努力を惜しみません。

椎名さんは現在も会社に席を置いてはいますが、ボランティア休暇と有給休暇を使い、放送局長としての仕事を全うしています。

その椎名さんは「放送局の立ち上げの時の合言葉は『絆』なんです。震災でリスナーを含めその『絆』を一層深めることができました」と放送局長としての責任の重さと充実感を噛みしめています。

Pick up Success in IBARAKI

“リスナーの視点に立って常に放送を”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
やる気と強い使命感を持てば、土地風土は関係ない。今回の震災を契機に職を失 った人も多いが心機一転、社会参加のつもりで
質問2起業する際にまずやるべきこと。また、必要な準備は?
FMひたちの立ち上げはバタバタした。開局の日時を設定してしまい、どうしても やらなければと自分も周囲も追い込んだ。責任感で乗り切った
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
CMの営業活動など現在の経済状況では厳しいものがある。時に新規事業に理解 を得るのには時間がかかるが、粘り強く支持を広げる努力

これから起業する方への一言

“車気的責任感と使命感を持って取り組む必要があります”

今回の震災でもそうだが、とにかく頑張って乗り越えなくてはならない局面もあるはず。その姿を見せることで多くの共感を得られていくはずでしょう。新しい仕事を始めるにしても、新たに事業を興すにしても、車気的責任感と使命感を持って取り組む必要があります。常に青雲の志を忘れずに希望を忘れないで下さい。

■やる気と強い社会的使命感を持ち、前向きに進んでいくこと
■時間を掛けて粘り強く多くの支持を取り付けて営業に結びつける
■厳しい状況でも頑張る姿を見せることでリスナー(顧客)は支えてくれる



写真を右に1つ進む

写真を左に1つもどる