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磯蔵酒造有限会社
  磯 貴太さん

「酒は人ありき」
日本酒を通して新たな関わり合いを

笠間市出身、茨城高校卒。4年間の東京生活を経て、磯蔵酒造の5代目蔵主を継ぐ。「世の中のニーズ」という言葉を嫌い、お米でしか出せない味を追求して平成23年度の茨城県清酒鑑評会でベスト1となる金賞(1蔵だけ)を受賞する。趣味はカウンターのある居酒屋で酒を飲むこと。「好きなことをやるためには人に支えられている」をモットーにしている。

Owners Company
磯蔵酒造有限会社
TEL.0296-74-2002
http://isokura.jp/intro.html
笠間市稲田2281-1

母親の病気、父親の奉職を契機に家業を継ぎ酒造りの道に
本年度の県清酒鑑評会で吟醸酒が金賞に輝く

毎年、その年の日本酒の出来を比べ合う「茨城県清酒鑑評会」で、このほど磯蔵酒造の「稲里大吟醸」が吟醸の部で見事首席の金賞に輝きました。

さらに純米の部でも「稲里純米」が3位と銀賞に輝き、磯蔵酒造はダブル受賞の喜びにあふれました。

社長の磯さんはふくよかな体型と独特の風貌で、一度会ったら忘れられないキャラクターの持ち主です。

高校を卒業後、「勘当されて」音楽の道を目指して上京、都内で音楽活動を始めました。

しかし、音楽の仕事はジャズボーカルのバックバンドをやったりぬいぐるみの中に入ってギターを弾いたりという仕事ばかり。

土木作業などもこなしながら、4年間東京で過ごしましたがやがて自分のやりたい音楽では食べていけないと気づき始めた矢先、母親がくも膜下出血で入院。

さらに、その母親の身の回りを世話していた父親が笠間市長として奉職することになり、実家が大変なことになります。

母から「私が社長をするから、車を運転してくれたり、車いすを押してくれるだけで良い」と言われ、長男としてそこまで言われたらと、実家に戻ることに。

ところが「それは罠にはめられたのです」と磯さんは笑います。

笠間に帰ってくると、待っていたのは酒造りと会社経営の重責でした。

磯さんは「すべておまえがやりなさい」という両親の言葉に、買い言葉で「口を出さないで欲しい」と言い出します。

そこから両親は磯さんに、銀行融資の受け方や組合での付き合いなどを含めたアドバイスを一切しなかったそうです。

磯さんが蔵に戻ったことで、古くからいた社員も辞めてしまうなど、しばらくは苦労の連続でした。

しかし「自分にはプライドがない。人に聞くのは怖くない」と酒造りの先輩たちに指導を仰ぎました。

「知らないことの方が恥ずかしい。先輩たちも馬鹿な私をかわいがってくれ、助けてもらいました」と苦難を乗り越えていきました。
 酒造りに専念する磯さんは酒の基本である米について疑問を持ち始めます。

それまでは日本酒専用の米は8割が県外産で県内産は2割ほど。

「酒作りを突き詰めて行くと、他の人が良いという米を買っていたのでは自分の出したい味が出ない」と、自分で米作りを始めて行きます。現在ではだれがどこで作った米か分かる笠間産の酒米が7割ほどに達しています。

「米はデンプンが甘み、うまみを出します。さらに多種多様なミネラルが含まれ、苦み、渋み、酸味のバランスが最高な食物です。だから毎日ご飯を食べても飽きないのです」と、米の魅力を語ります。

さらに「ワインはブドウ、麦はビール、何で出来ているのかのアイデンティティーを考えたときに、日本酒のアイデンティティーはお米なのです」と素材の大切さを強調します。

「僕の出したい味は『ライシィー』な味です。

酒蔵のこだわりや伝統などを売っているのではない。

『味』を売っているのです」と目指す味の再現にまい進していきました。

 また、日本酒はワインとともに食事と相性の良いお酒です。

磯さんは「お酒は楽しい時間を過ごすための道具です。

日本人の日常、普段の生活の中で飲んでもらうのがテーマ」とブームに左右されない、日本酒の存在感を高めることにも意欲をみせていきます。

 日本酒は辛口やフルーティーなものまで、これまでいくつかの流行を産み出してきました。

そこで磯さんは日本酒の流行は何故変わるのだろうか?と考え始めます。「考えたら日本の流行はマーケティングで生まれてきたものです。

消費者から生まれたものではないのです。

消費システムに乗っかっているだけで、消費者の味って存在しないんです」と磯さん。

流行を追って酒造りのトライアンドエラーを繰り返していると、ブームが去ってしまって次のブームがまた来るという繰り返しになってしまいます。

「自分の基準を作るべきだ」と、目指す味が完成の域に達した2001年に覚悟を決めて、それまでの社名「磯酒造」を現在の「磯蔵酒造」と変更しました。

地元の人たちが親しみを込めて呼んでいた屋号「磯蔵」を正式の社名としたのです。

米も酒造りも自分たちの基準に変えようと、パッケージやラベルも自社基準に変えました。

すると、「売り上げは別にして、ストレスがなくなった」と磯さん。

磯蔵では毎年新酒が出来ると、日本酒好きを集めて「ちょっ蔵新酒を祝う会」を開催しています。

今年は震災の影響で秋の開催となりましたが、このイベントは既に、JR水戸線の稲田駅が酔っぱらいで溢れかえるという日本酒の一大イベントに発展しています。

「日本酒をおいしい時間とおいしいつまみで飲んでもらう空間を提供し、末端の人々にも日本酒を味わってもらいたい」と、若者が楽しめるステージイベントやお年寄りが楽しみにしている落語などを開催しています。

そんなバラエティー豊かな内容の酒蔵の一日は、日本酒に向き合う磯さんの優しい一面に触れることのできる格好の機会です。

ぜひ次回の磯蔵の「ちょっ蔵新酒を祝う会」に足を運んでみて下さい。金賞を受賞した「稲里」が味わえます。

Pick up Success in IBARAKI

“伝統やこだわりを捨て自社基準を確立する”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
自分は家業を継いだので起業したのではないが、「こだわり」や「伝統」と言った言葉は嫌いだ。相反するかもしれないが、県内でもこのうえなく昔の作り方でやっているのはうちぐらいだろう。
質問2経営を始める際にやるべきこと、また、必要な準備は?
自分の場合、会社経営に対する知識は全くなかった。それでも子どものころから酒造りを見ていたので、抵抗はなかった。ただ流行に惑わされてはいけないだろう。
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
「酒は人ありき」と思っている。たくさんの人に支えられて酒は成り立っている。人と人とのコミュニケーションを深める酒を知ってもらう為の「ちょっ蔵新酒を祝う会」などのイベントを展開している。

これから起業する方への一言

“得意としているものがあれば、やっていけるはずだ”

自分がほかの人より得意としているものに特化してやるべきだ。世の中が変わって行っても、得意としているものがあれば、やっていけるはずだ。もちろん得意分野に対する努力は必要だが、好きなことをやるために何が必要かは、自ずと分かってくるだろう。

■こだわりや伝統に左右されることなく、自分の信念を貫き「自分の味」を作り続ける
■「自産自消」の考え方で、優れた商品を生み出す
■自分のわがままがだれかの役に立っていると考える



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