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株式会社鈴木茂兵衛商店
代表取締役 鈴木 隆太郎さん
伝統の上にあぐらをかかず
今を生き、未来を作る提灯を創造する
茨城高校卒。茨城にもなじみの深い親鸞と唯円を描いた倉田百三の「出家とその弟子」に影響を受け京都・龍谷大学へ。その後、家業を継ぎ、斬新なアイデアの提灯を次々と発表。2009年には茨城デザインセレクションにも選ばれるなど提灯の新たな用途を提案し続ける。
- Owners Company
- 株式会社鈴木茂兵衛商店
- TEL.029-221-3966
- http://www.suzumo.com/
- 水戸市袴塚1-7-5
オリジナル「SUZUMO CHOCHIN」がデザイン界に新風
日本独自・提灯文化の無限の可能性を提示する伝統産業の水先案内人
慶応元(1865)年、日本の国内では長州が徳川幕府に反旗を翻して幕末の争乱が始まろうとし、アメリカでは南北戦争が終結。リンカーンが暗殺されるなど国内外の政情不安ななか、水戸藩の殖産振興のひとつとして鈴木家は提灯づくりに着手したのです。
以来、霜月を重ねて146年間、鈴木茂兵衛商店の作り出す提灯は、現在の当主・鈴木隆太郎さんまで7代にわたって伝統の火をともし続けてきました。
水戸での提灯の歴史は、西ノ内和紙という丈夫な和紙と歩みをともに発展していきます。西ノ内和紙は丈夫な紙で、その和紙を「火袋」と呼ばれる提灯の紙材として使うことで幕末から明治期にかけて、江戸・東京で評判となり隆盛を極めます。これが「水府提灯」としての地位を確固たるものにしたのです。
水府提灯は「丈夫な提灯」のうたい文句のもと、東京から関東一円、東北にまで広がり、水戸の一大産業として成長。鈴木家も製造販売、問屋としての現在の基礎を築いてきたのです。
「当時、提灯は生活必需品でした。懐中電灯でもあるし、電気などない時代の明かりとして欠かせないものだったのです」と鈴木さん。やがて時代が下るにつれ、提灯の役目も様変わりします。店舗の看板用としての用途がクローズアップされ、第2次世界大戦前までは提灯は日本人の生活の一部として身近な存在となりました。
しかし、戦後の高度成長期を経て、その役割は電気に主役の座を譲り、水府提灯の名前も人々の口から聞かれなくなり、水戸の提灯産業にも秋風が吹き始めます。
鈴木さん自身も子どものころ親の職業を聞かれ「提灯屋」というと、クラスメートに大笑いされたという悲哀を味わいます。それほどまでに日本の伝統産業は苦渋の時期を堪え忍んだのでした。
提灯業界は春から秋までが一番華やかな季節でもあります。寺社の春祭りから、夏のお盆、再び秋のお祭りと、日本人の心の節目には提灯が必ず登場します。
それはいつの時代にも日本人には欠かせないものなのですが、それだけでは伝統を守り、生活の糧を得るだけの産業に終わってしまします。
やはりやりがいがあり、楽しく、将来への展望を持つのが職業、社会人としてのまっとうな在り方です。鈴木さんは「提灯は機械で作るものではなく、張り子さんという内職をやってくれる方々が支えてくれてます。
現在中国などへ製造拠点を移す方もいますが、「日本人の祭事に関わるものは国内で作り続けるべき」との堅い意志を抱いていました。その一方、「これまで提灯は受動的で、昔の日常品から祭事用へとその目的が遠く離れてしまった。かといってお祭りも少なくなって、待っていれば売れる商品ではなくなってきましたので能動的に売ることを考えてきました」と、時代の変化を敏感に捕らえたのです。
そのような折、国内外で高い評価を得ている同級生でもあるグラフィックデザイナーのミック・イタヤ氏との再会を果たしたのです。独創的な造形を手掛けるイタヤ氏が、提灯だけが成し得る機能性に着目。これまで誰もが考えもしなかったオリジナルの提灯が次々と産み出されたのです。
それまでも販促用として一升瓶型やワインボトル型、ビール缶型などの提灯は製作していましたが、イタヤ氏により人の顔や帽子、曲がりくねったものなど、提灯を楽しむという発想からの作品が新たに制作されていきました。
その作品は明かりにLED照明を使い、人間の癒しに効果が高いと言われる「F分の1」の揺らぎを再現するなど、心の健康にも役立つインテリア照明として各界の注目を集める存在になりました。
また都内で開催される各種の展覧会やデザインショーへの招待出品など着実に成果をあげていることでも、水戸から全国へ、世界へと羽ばたく提灯の新たな価値観を提示して見せたのです。
「SUZUMO CHOCHIN」には不思議な魅力が込められています。夏の提灯の出荷時期には猫の手も借りたいほどの繁忙期を迎え、多くのアルバイト、パートさんを必要とします。そこでバイトを経験した茨城大学生が提灯の魅力にとりつかれ、何とそのまま鈴木さんの元に就職するということが相次ぎました。
彼らは若い社員として、これまでになかったCADを使った提灯の設計やネット販売などにも取り組み、それまでの熟練工とのギャップを感じさせない新古のハーモニーを奏で、鈴木茂兵衛商店に欠かせない力強い戦力として活躍しています。
鈴木さんは日本ならではの伝統産業、日用品の提灯について「定義は極めて簡単なのです」と言います。その定義に答えられないでいると「それは、たためること」と単純にして明快な答えを教えてくれました。
鈴木さんは「日本の文化は扇子や屏風だってたためるものがあり機能性を生かしたものが日本の特徴」と日本の伝統産業の強みをさりげなく教授してくれました。
確かにトランジスターラジオやウオークマンやコンパクトデジカメ、ケイタイなど日本の伝統は今の工業製品にも息づいていることを再発見しました。そして鈴木さんは「あくまで提灯の基本は守り、見て楽しく面白いものを作っていきたい」と、まるで子どものように目を輝かせていました。
これから起業する方への一言
“自社製品を使ってくれると信じてまい進すること”
伝統と歴史はあくまで過去のもの。良い技術をきちんと評価できる社会環境が整っていないと感じるが、自分で限界と思って線を引くのではなく、どんどん提案することで自社製品を使ってくれると信じてまい進することが大切。
■伝統と歴史にあぐらをかくのではなく、常に未来を見据えることが必要
■基本は守り、新たな可能性を常に意識する
■すき間産業での生き方を考える