President file
63

亀印製菓 株式会社
代表取締役社長  林 太 一さん

老舗の伝統を守りつつ、
お菓子博物館・レストラン等も手掛ける

茨城県内で一番の歴史を誇る和菓子屋の社長として社業以外にもさまざまな公職を持つ。昨年、大病を患ったが、見事復活。ゴルフなどをたしなむが、毎日さま ざまな団体の活動で自分の時間が取れないこともある程の多忙ぶり。2013年4月からは地元出身のプロ野球選手の活動を支えるスクールも開講予定と常に新 たなことに挑戦。

Owners Company
亀印製菓 株式会社
TEL.029-305-2211
http://www.kamejirushi.co.jp
水戸市見川町2139-5

画期的アイデアと強い決断力で会社規模を拡大
伝統の味を継承しつつ新商品にも果敢に挑戦

 水戸のお菓子と言えば茨城県人なら誰もが知っている「水戸の梅」。そのほのかな梅の香りと甘さで万人に愛される水戸の銘菓です。このお菓子の最初のレシピを作ったのが、創業1852年(嘉永5年)という古い歴史を誇る和菓子店、亀印製菓です。

  この「水戸の梅」のレシピは江戸時代の水戸藩主徳川斉昭公の命令によりお菓子が作られたという文献にもとづき作られたものだそうです。練った白あんをシソ の葉にくるみ、当初「星の梅」として製造・発売されました。大正時代には宮中にも献上されたとも言われているそうです。後に3代目のときに改名し「水戸の 梅」として販売、戦後には全国菓子博覧会にて実に3回も受賞を果たしたほど。このように亀印製菓は全国的にも大変知名度のある商品を世に出すなど茨城が誇 る有名企業の一社なのです。

 この老舗和菓子店7代目の社長として茨城の財政界で多方面にわたり活躍し続けているのが、林社長です。
 跡取りとして生まれ、周りからは当然社長になると思われていたものの現在の地位に就くまでには長き迷いの時期もあったといいます。

 「私は桜ノ牧高校の第一期生として卒業した後、東京の大学に進学しました。大学へ長く通った後、卒業することなく辞めてしまいました。当然親から勘当され、もう二度と水戸へは戻れないと思っていました」と、林社長は20代の若き時代を振り返ります。

  その後8年もの間、東京でモックアップ(製品の外観の検討や機能の確認のためにつくられる原型)というデザインを形にする仕事に従事した林社長。ある日、 「お姉さまが結婚するので戻って来るように」と水戸へ呼び戻され、これを機に水戸に戻り家業を継ぐことになったそうです。

 こうして亀 印 製菓に入社した林社長は製造から販売、営業までまさに新人として和菓子の現場を経験していきます。「あんばと呼ばれるあんこをこねる現場からスタートしま した。現場の社員さんには、私の子供の頃を知っている方も多く、一から教えていただきました」と一生懸命にお菓子作りのノウハウを取得していったそうで す。「お菓子作りは手を抜こうとすればできる職業です。しかし、糖度計を使って甘味を調整してもその日によって味の感覚は異なります。いつでも美味しいも のを提供する難しさを身をもって感じることができました」とお菓子作りの難しさ、奥深さについて徐々に学んでいかれたそうです。

 こうして徐々に様々なことを学ばれ、力をつけられた林社長。その後の活躍は目覚ましく、日本規模のメジャー企業へ押し上げていく画期的な決断力で会社を成功へと導いていくのです。 

 まずその決断の一つが新店舗、工場、美術館の新設です。亀印製菓が現在の本社に移転したのは1999年。東海村でJOCの事故が起こった直後で、茨城県が凄まじい風評被害を浴びていた時期でした。そのタイミングであえて新店舗と工場を新設したのです。

  そこでは新鮮な感覚を盛り込んだ総合施設「お菓子夢工場」を設立、工場見学を可能にしました。その後「お菓子博物館」という日本初のお菓子の美術館も併 設。「お菓子作りは夢を売る商売。その全てをみて欲しかった」と画期的なアイデアを実現していきました。こうして亀印製菓は観光バスなども立ち寄る水戸の 観光名所としての地位を築いていったのです。

 またもう一つの決断が茨城空港への出店です。当時、茨城空港開港にあたり、空港での出店 募 集があったそうです。しかし、多くの企業に話があったにも関わらず、結局手を上げたのは林社長のみ。「出店に関して、周りの皆さんからは大反対されたので すが出店しました」と大きな決断を語られました。当時、取引先の銀行からも反対をされていた林社長ですが、中古什器にレジひとつと、テーブルに敷く敷物一 枚といった最低限の出費で出店を実現したのです。 

 そこで販売したのが茨城空港限定のどら焼きでした。このどら焼きが爆発的な売れ行 き を記録、ヒット商品となったのです。「どら焼きの製造ラインは週2回ほど稼働していたのですが、商品製造が間に合わず週5回へと変更を強いられたほどで す」とその成功に嬉しい悲鳴を上げたそうです。こうして茨城空港限定のどら焼きは県内外や海外からの観光客に喜ばれる土産品としての地位を築いていきまし た。

 またその他にも、林社長は積極的に他企業とのコラボ商品を開発するなど様々な商品製造を手掛けていきました。こうして林社長は「他の企業がやならいことをやる」といった独自のアイデアと決断力で会社の規模や地位を拡大していくことに成功したのです。

  「初代は埼玉から水戸に移り住んだというルーツがあります。亀吉という2代目社長が作った『亀印』をこれからも受け継いでいきたい」と語る林社長。そうい う林社長は自社ばかりでなく、多くの社団法人や公共団体の活動に参加し水戸や茨城の発展にも尽くしています。一度は勘当されながらも実家に戻り、家業の発 展に尽力し続ける林社長。そんな社長の小学校の卒業文集には、その根底にある強い熱意がすでに記載されていたました。その言葉は、「世界の亀印にする」と いう情熱の一言でした。

Pick up Success in IBARAKI

“万人が美味しいものが美味しいとは限らない”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
水戸は江戸時代にお茶の文化が発展していなくて、和菓子の文化は発展していない。しかし、洋菓子店などは全国有数の数を誇る。起業の余地はある。
質問2経営を始める際にやるべきこと、また、必要な準備は?
地元の人との付き合いが大切だ。地域の空気の流れを感じることが必要。人のつながりを大切にして、オリジナリティーを持つこと。
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
イベントなどに積極的参加し味をアピール。さらにパッケージの色やデザインも商品の販売に大きな影響を与える。

これから起業する方への一言

“常に新しいことにチャレンジし続ける事が大切”

私は老舗企業を受け継いだが、伝統に甘んじていてはいけない。常に新しいことにチャレンジし続ける事が大切。また、周りの人とのつながりも非常に大切で、その地域の空気を感じ取り上手に付き合い、オリジナリティーを持つこと。一度決断したことは周りに反対されても挑戦してほしい。

■伝統に甘えることなく、常に先進性を持つ
■安心・安全は当然。美味しさを追求する姿勢は忘れない
■価格よりも美味しさで選んでもらえる商品開発が必要



写真を右に1つ進む

写真を左に1つもどる