President file
80

有限会社 山中瓦店
代表取締役  山中 芳博さん

メーカーの下請けではなく、
信頼と技術で応える

小学生の時代から親の仕事を手伝い、屋根瓦の職人としての仕事を覚える。代々続く施工家屋は数千棟に及び葺き替えの依頼も多い。現在は山中社長のほか父親、奥様、娘さんの4人とも屋根に上がり仕事をこなす屋根工事ファミリーを形成。仕事も私生活も家族一緒で、ボランティア活動にもみんな仲良く参加する家庭の姿は、まさに理想的!

Owners Company
有限会社 山中瓦店
TEL.029-239-6595
水戸市上国井町3503-1

創業90年を迎える老舗瓦店
屋根工事業からリフォーム・不動産へと事業を拡大

 東日本大震災による茨城県内の屋根瓦の被害は相当なものでした。土木・建築業界では「震災バブル」と揶揄されるほど、復興に向けての補修・建て替えなど の需要が増したと私たちは考えがちです。しかし、屋根工事業者には受注する住宅メーカーやお客様の希望に応えられずにノイローゼに陥り、自殺に追い込まれ た残念なケースもあるそうです。

 山中社長も自らの施工ペースを守ることが精一杯で、それまでのハウジングメーカーの希望に沿えず、取り引きが次々に切られました。その結果、看板も名前もないにわか屋根工事者が増え、瓦職人の技術は廃れていく運命に立ったのです。

 山中社長は「今は仕事を請け負っていたメーカーはほとんどありません。震災前からのお客様と当社の信頼だけが屋根工事の柱になっています」と言います。

 こうした厳しい状況下でも成長し続ける山中瓦店。住宅の屋根と山中瓦店の歴史を振り返ることで、巧みな戦略と先見性を垣間見ることが出来るのです。

 同社の歴史は祖父の代にさかのぼります。明治生まれの祖父が屋根工事職人として仕事を始め、現在も現役で屋根にも登るという父親の雄幸さんがその跡を継いで、個人事業者として本格的な屋根工事専門業者として道を拓いてきました。

 一方、日本の屋根瓦は1400年前に伝わってきたそうですが、明治時代までは神社・仏閣などごく一部に使われ、庶民には手の届かない存在でした。明治以降でも商家や富裕層の家庭だけに瓦が使われ、一般家庭ではかやぶき、トタンやスレートなどの屋根が普通でした。

 「陶器瓦としての屋根瓦が普及したのはわずか40、50年前からです。一般の住宅に本格的に普及したのはせいぜい35年から40年前からなのです」と、 山中社長は屋根瓦の変遷を説明してくれました。時代は高度成長期からバブル時代を迎えようとしていました。山中社長は「営業しなくても仕事はどんどん入っ てきました。当社でこなすことが出来ず、外注に出してもまだ間に合わず、仕事を断ってしまうこともあったのです。技術と信用があれば仕事は向こうからやっ て来ると思っていたのです」と、当時の仕事ぶりを語ってくれました。

 同社も従業員を抱え、山中社長37歳の平成7年に法人化を決意します。有限会社として社員の社会保険、年金などの身分保障の充実を図るのです。その際、 山中社長は屋根工事業の将来を見据えていたのです。「屋根瓦はやがて減少傾向に向かうだろう。屋根工事だけでは会社としては成り立つのは難しいと感じてい ました」と山中社長は法人化にあたって、住宅リフォームの事業を開始します。

 元々、屋根瓦も「葺き替え」などのリフォームが発生します。それを瓦だけでなく住宅一般のリフォームにも目を向け、その事業を手掛けることになりました。さらに、不動産業にも着手。住宅の地面から建物のてっぺんである屋根までこなせる会社へと成長させたのです。

 屋根瓦も陶器製からセラミック、板金の吹き付け瓦などに変化し、要望も多様化していきます。それまでの陶器製の瓦だけではなく様々な素材へと進化を続け ます。本来の瓦職人としての技術を必要としない震災後の時代に向かって行ったことを見れば、山中社長の事業展開は鴻鵠(こうこく)の志を得ていたのです。

 ここで山中社長の経歴を振り返りましょう。山中社長は各種資格を得るための都内の専門学校を卒業後、父親の仕事を継ぐために実家へと戻ります。20歳の 時でした。瓦職人であった父親は決して山中社長に仕事のことを教えなかったそうです。「でも、小遣い欲しさに小学生のころから仕事は手伝っていました。ほ かの人にはあれこれ指示を出すのですが、私には何一つ教えてくれなかった。ですから見て覚えたのです」と、山中社長は文字通りドラマやマンガのような職人 人生をスタートさせたのです。

 その後、自宅は水戸市松本町から那珂市に近い上国井町へと転居します。山中社長は見ず知らずの地域へ移住して、真っ先に地域に溶け込むことを考えまし た。「消防団に入り、スポーツ推進委員にもなりました。その結果、新参者でもこの地域でも信頼を得ることになりました。それが、仕事の依頼を受けることに もつながったと思います」と、山中社長は会社が地域貢献を果たすことで伸びる可能性を示唆してくれました。

 その地域貢献の思いが、現在「未来塾水戸」としての活動に発展しています。「未来塾水戸」は山中社長が代表を務める市民ボランティア団体です。異業種の 市民が参加する独自の地域連携活動を実践する団体として注目を集めています。その活動の中心は未来を担う子どもたちの「食育プロジェクト」です。借り受け た畑で保育園児、障がい者との芋掘り体験や映画と陶芸のコラボイベント、さらには地元の七ツ洞公園を利用した婚活イベント、グループホームでのクリスマス イベントなど活発な事業を展開しています。

 山中社長はきっぱりと言いました。「その地域に根差した活動、あるいは役に立つことに労力を惜しまないこと。これがやがて自分の仕事に返ってくることもあります。でも、お金ではない地域へのボランティアを今後も続けていくことで会社は永続する」。

Pick up Success in IBARAKI

“ボランティア活動を通して地域に息づく会社へ”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
この業界は先々、需要は減っていくだろう。私の下で働いてもらった人も多いが、独立を果たした人はいない。屋根だけに特化した会社を興すのは難しいだろう。
質問2経営を始める際にやるべきこと、また、必要な準備は?
親の仕事を継いだが、私は法人化を決意した。職人としての技術の習得も必要だが、働く仲間のための環境づくりも考える必要がある。
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
営業は行っていないが、口コミで広がっている。顧みれば、地域活動に積極的に参加して地域の信頼を得た結果だと思う。丁寧な仕事をすることで、評価を得たのだろう。

これから起業する方への一言

“仕事の依頼は一度断ったら、二度とは依頼が来なくなる”

仕事の受注を受けたら、丁寧に対応することでお客様の信頼を得られ、次の仕事に結びつく。仕事の依頼は一度断ったら、二度とは依頼が来なくなる。取り引き関係が消滅する可能性が潜んでいるので受注は慎重に判断するべき。私の仕事は定年がない仕事だが、一生続ける覚悟で起業するべきだと思う。

■仕事は過酷だが、それだけに充実感を得られる
■地域のボランティア活動で信頼を得る
■事業の先行きを見越し、先手を打って生き延びる



写真を右に1つ進む

写真を左に1つもどる