President file
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としまや 月浜の湯
代表取締役  渡辺 悦夫さん

サラリーマンから転身
脈々と息づくサービスの心を具現化

北茨城市出身。福島県立磐城高校、立教大学卒。本人は「ものぐさ社長」を自認するが、周囲の人を和ませる独特の語り口と博識ぶりに人間味を感じさせる。東日本大震災から復興、10月に旅館業を再開。ボランティアに支えられた記録集も編さんした。

Owners Company
としまや 月浜の湯
TEL.0293-43-1311
http://www.tukihama.co.jp/
北茨城市磯原町磯原200-3

120年続く老舗旅館の5代目として
夫唱婦随で手腕を発揮
津波の被害からわずか7カ月での復興を果たす

能を演じ、茶道をたしなみ絵画にも造詣の深い多芸の趣味、話題豊富な粋人というのが北茨城市の磯原で旅館業を営む渡辺悦夫社長の第一印象です。

渡辺社長は老舗旅館「としまや」の5代目の当主です。

元々、北茨城の景勝地である二ツ島近くの旅籠屋から120年の霜月を重ねて、現在の立派な温泉旅館まで脈々とサービス業を続けた「としまや」はあの東日本大震災までは順風満々の歩みを続けていたのです。

しかし、無情にも震災による津波は太平洋の大北川河口に位置する「としまや」を襲いました。

旅館、自宅ともに1階部分はすべて浸水し、手の付けられない惨状と化してしまいました。

それまで、平穏に温泉旅館としてお客さまを受け入れていた現実が、無残にも打ち破られてしまったのです。

「津波が来るというので、とにかくお客さまを避難させようと高台へ誘導しました。

すべての避難を終える直前にお客さまお二人がお出でになり、そのお客さまを連れて会社の車で避難しました」と津波到来の直前の模様を話してくれました。

そのとき車好きの渡辺社長はわずか1カ月前に購入した新車を自宅ガレージに置いたままでした。

そこでガレージを開けて、購入したばかりの愛車を出そうとしたのですが、停電によりガレージのシャッターは開かず、やむを得ず会社の車で避難する事にしたのです。

もちろん、新車は津波により全壊。

その様子を悲観することなく話す渡辺社長の言葉は軽妙で、しかも洒脱に満ちたものでした。

「息子が支配人をやっていて、彼が最後に避難したのですが、津波がすぐ後を追ってきた」と、命からがらの状況でしたが「としまや」は一人の人的被害も出すことなく津波を乗り越えました。

しかし、それからが「としまや」の苦難の再建への道のりの始まりとなりました。

「津波の後片付けのために延べ1400人のボランティアの方々がお手伝いに来てくれました。

そのうち6~7割の方が外国人でした。

さらにその外国人の方でも6割は韓国の人々で日韓の政治問題などもありますが、そのようなことは関係なく来てくれたのです」と渡辺社長。

この震災復興をきっかけに渡辺社長は「いろんな方々が助けて下さった。

まだ人間は捨てたものじゃない。

人は信じられる」という実感を強く抱いたということです。

この恩に報いようと、片言の英語で外国人ボランティアに話しかけ、昼食時には自宅で作ったおかずの一品を必ず提供し、一緒に食事を共にしました。

また、日本の文化を少しでも味わってもらおうと、着物の着付けをするなど、積極的に交流を深め合いました。

「毎日いろいろな話しをして日本文化を理解してもらい、自分たちができる本当の交流ができたと思っています」と渡辺社長は振り返ります。

 「もし反対の立場に立ったときに自分がボランティアなどに行けるのかと思いましたが、これで変わることができました」と言います。

震災前までさまざまな社会貢献事業に参加してきた渡辺社長ですが「それまでのものはいわゆるイベントだったのです。

今回の震災でボランティアに来てくれた方々はそれとは違い、皆さん自分の気持ちを持って来てくれたのです」と、感謝の言葉を続けました。

悲惨な状況から10月28日には、復興再開を果たすことを成し遂げました。

渡辺社長は震災から復興までの足取りを「風化させてはいけない」と冊子を作成し、関係者に配布。

旅館を訪れるお客さまにも自由に閲覧できるようにしています。

たぐいまれなる人間味の温かさを感じさせる渡辺社長ですが、今の地位と人望を得るまでには多くの曲折と小さなラブロマンスがあったのです。

女将である十九夜(とくよ)さんとの出会いでした。

渡辺さんは父親が公務員、母親が教員、祖父は銀行の支店長という恵まれた家庭で育ちました。

中学校時代、奥様の十九夜さんはテニスで県大会などで優勝の常連でした。

当時から十九夜さんを知っていた渡辺さんは磐城高校から立教大学へ進学し、都内で大妻女子大に進学していた十九夜さんと初デートをします。

「彼女は印象通りの純粋で素適な女性でした。

山の手線で1周して東京タワーに行ったんです」と淡い思い出を語ります。

しかし、その後帰省の度に、十九夜さんの実家である「としまや」の海の家などでバイトをするようになり、いつしか周囲が認める関係になります。

大卒後は一般企業に就職し、長野県などに赴任しますが、二人の実家がある北茨城に戻り、十九夜さんの実家の「としまや」の経営を引き継ぐことになります。

「商売とは無縁の環境で育ってきたので、親戚からは『頭を下げる商売は出来ないんじゃないか』と思われていたでしょう。

でもいろいろ勉強させていただいて、今の自分があるのです」エリートサラリーマンから旅館経営者へと転身し、現在の繁栄を築き上げ、震災復興に立ち向かった渡辺社長の笑顔の裏には十九夜さんとの夫婦愛を垣間見ることができます。

Pick up Success in IBARAKI

“料理や接客は良くて当たり前、
心地良さを提供するのが大切”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
震災に遭い、ゼロからのスタートとなった。茨城という地域を意識せずに起業家のつもりで基本的なことを地道にやるだけだ。
質問2起業する際にやるべきこと。また、必要な準備は?
自分たちの出来る事を毎日きちんとやることだ。お客さまにどうしたら満足してもらえるのか、そのために何をしたら良いかを考えること。
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
この仕事は主人公の人間性が出てしまう。自然な環境、空気、居心地などのホスピタリティーを従業員に徹底させることで、リピーターが増える。

これから起業する方への一言

“目に見えないところをいかに考えるか”

目に見えないところをいかに考えるかが大切だ。お客さまに自分の考えを押しつけると品格が問われることもある。非常に難しく何年もかかるがハイレベルな意識を持ち続けることが必要だ。

■震災という不幸を乗り越える勇気と気持ちを持続する
■目に見えないものに意識を集中
■人間の品格が仕事に現れる



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