President file
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京成ホテル株式会社
代表取締役社長  小林 広人さん

鉄道業務からホテル業へ、
来年40周年を迎える

都内に奥様を残して単身赴任、金帰月来の生活で家に戻るのは週に一度。「ホテルは特別な場所ではなく、自然に使ってもらえる所」と広くホテル利用を呼び掛ける。趣味は様々なホテルでの食べ歩きと映画鑑賞で、これまでのベスト映画は「台風クラブ」。

Owners Company
京成ホテル株式会社
TEL.029-226-3111
http://www.mito-keiseihotel.com/
水戸市三の丸1-4-73

鉄道もホテルも人生の大切なポイント 広く多くの人に楽しんで利用できる場所を提供

水戸の駅前に県内初の近代ホテル「水戸京成ホテル」が誕生したのは1974年のことです。茨城国体に合わせてオープンした同ホテルは県都の顔として昭和天皇をはじめ、数えきれないほどの宿泊、宴会客を迎え入れてきて今なお、独特のステータスを放ち続けています。

 小林社長がこのホテルの常務として水戸へ来たのは5年前のことでした。昨年4月に社長に就任、来年迎える40周年という節目の年の重責を担うことになりました。

 「生まれは友部町(現笠間市)なのです。父親が精神科医をしており友部の病院に勤務しており、小学校へ入る前まで友部の病院の官舎に住んでいました」と小林社長の出身地はこの茨城だそうです。

 小林社長はその後、父親の転勤と共に千葉県銚子市に転居。高校卒業まで銚子で青春期を送りました。そして都内の大学へ進学し、卒業とともに京成電鉄に入社。以来、鉄道関係の人事、経理、企画などの事務畑から成田新高速鉄道の整備事業などを経験しました。

  鉄道からホテルの経営という一見畑違いの業務のように思えますが、小林社長は「ホテルは利用者として個人的には好きだった」と語ります。 また「京成電鉄 に入社したのは、鉄道会社は生活総合産業でなんでもできるという思いがありました。鉄道もホテルも場を提供するという基本は同じなのです」と小林社長はホ テル業への転身をむしろ楽しんでいるようです。

 「人の人生のポイントポイントに駅があります。駅は目的地ではなくて通り過ぎる場所で す。うれしいことや悲しいことなどさまざまな思いをもった人生のドラマの場所を提供しています。ホテルも同じなのです。シティホテルは街の中に溶け込んで いって、人の誕生のお祝いや結婚式からお別れの会、法事などそれぞれの人や家族にとって大事なポイントにあるのです。鉄道とホテルはともに街のインフラと して欠かせない場所なのです」と小林社長は鉄道とホテルの共通した使命を話してくれました。

 小林社長が水戸へ赴任してから京成ホテル は 大胆なイメージチェンジに取り組んできました。イタリアンレストランをコーヒーショップ「アンドミー」に改装したり、スイーツバイキングの導入やホテル独 自の情報誌の発行など、一般の人へ敷居の高さを感じさせない努力を続けています。

 「イタリアンなどのレストランは昔と違って、今は町 中 にもたくさん出来てきました。お料理がものすごく美味しかったという印象だけではなく、ホテルではお客様の大切な時間をお預かりしているのだから、ちょっ とでもよい時間を提供できることが大切。レストランとホテルは違う役割を持っているのです」と小林社長はホテルならではのホスピタリティを強調します。

  また「水戸京成ホテルは県内一番の老舗のホテルであるがために、一般の人には敷居が高く縁遠い存在になってしまった。ですから100円カレーを提供した り、イベントを開催したり、ホテルに来れば楽しいというものを感じてもらえるようにしたかったのです」と、小林社長は気軽に利用してもらう工夫を重ねてい るのです。

 さらに県内ホテルで組織するホテル協議会でも県産食材をテーマにした共通のメニューを提供する食彩フェアを開催するなど、 ホ テル間でスクラムを組むことでも集客を図っています。小林社長は「茨城の食材の可能性を広め、ホテルを使う楽しみを知ってもらい、若いファンも呼び込みた いという共通の思いです」と、ホテル同士の結束も強めています。また、東日本大震災後、観光客の落ち込みの激しかったホテルへの応援も惜しみませんでし た。

 さて、なぜに千葉を本拠とする京成電鉄グループなのに、水戸に京成ホテルと京成百貨店があるのかご存知の方は少ないでしょう。その疑問に小林社長は明快に答えてくれました。

  「京成電鉄の当時の川崎千春社長と三井不動産の江戸英雄さんが共に旧制水戸高等学校の同級生だったのです。川崎社長は初代オリエンタルランドの社長などを 務め、江戸さんとともに京葉開発に取り組んでいます。その二人の出身である水戸へ京成が進出したのも必然だったのです。今もこのホテルと隣の三井ビルが共 存しています」と小林社長は青春時代を水戸で過ごした先人たちの友情と出身地への恩返しを解き明かしてくれました。

 小林社長は休日に 小 学校入学前まで過ごした官舎を探して、友部の街を訪れたそうです。「かつての町名も変わってしまって、役所や図書館などで調べてもらっても分からなくて、 あれこれ現地を訪ね歩いたのですが、なかなか見つかりませんでした。この辺だと思ってたばこ屋さんで聞いたら、奥にいたおじいさんが場所を教えてくれたの です」と現在はすっかり周囲の状況が変わってしまっていた官舎を発見したそうです。

 「昔、周りは一面の畑だったのに...」と小林社長は少年時代に過ごした時代との変わりように目を見張ったようです。
 40年前に友部を離れた小林少年が、今度は水戸京成ホテル社長として茨城に戻り、来年の40周年に立ち会うことになります。これは偶然というより定められた運命なのかもしれません。

Pick up Success in IBARAKI

“社長として表に立つという気合いを常に”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
茨城は強い人間関係の結束の上で商売が成り立っているように思える。よそ者扱いを感じることも無くはないが、一度入ると良くしてくれる。
質問2経営を始める際にやるべきこと、また、必要な準備は?
私は自分で起業したわけではないので答えられないが、ホテル経営者として様々な地域の団体や経営者の集まり等に参加している。
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
宣伝、PRはさまざまなチャンネルを試しながら使っている。自社でも紙媒体を作っている。フリーペーパーなども積極的に活用している。

これから起業する方への一言

“自分の名前も看板のひとつになる”

社長になったときに初めて、表に立つという重みを感じた。自分の名前も看板のひとつになる。「社長」という立場に対する気合いと、スタッフたちの人生の一部を預かっているという自覚は常に感じている。日々、何か良い方向に変えることが出来ないか考え、常に現場へ顔を出すことも必要だ。

■駅もホテルも人生の大切なポイント
■日常とはちょっと異なる刺激も提供
■気軽にホテルを利用できるイベントなども開催



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