President file
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工芸デパート 茨城工芸産業株式会社
代表取締役  中山 義雄さん

各種公職を兼務しつつも、
茨城の観光に尽力

戦後間もない昭和22年に郷土工芸品の土産物店として創業。東日本大震災後は笠間焼などのほか茶道具、民芸品等のセレクトショップとして新規オープン。中 山社長は水戸の文化人として各方面で活躍。孫5人に囲まれて悠々自適な生活も望めるが、現役で店頭に立つ他、公職で引っ張りだこで休む暇もない毎日。

Owners Company
工芸デパート
茨城工芸産業株式会社
TEL.029-224-2317
水戸市南町3-4-5

地元ならではの工芸品を扱う県内唯一の企業に
時代の流行に合わせた品ぞろえで発展

茨城を代表するお土産屋さんとして知らない人はいない「工芸デパート」は、創業68年を迎える老舗の工芸品店です。

  社長の中山さんも茨城の政財界ではだれもが知っている存在です。現在の肩書は会社の社長のほか「水戸観光協会会長」「茨城県観光物産協会副会長」「水戸商 工会議所監事」「水戸史学吉田塾副塾長」「石州流水戸何陋(かろう)会常任理事」などの肩書のほか、ロータリークラブなどでも活躍する文化人の一人として 各方面で活躍しています。

 「土浦の菓子屋の長男であった父親が昭和22年に水戸で開業したのが始まりでした。当時は戦後間もないということで、お土産などよりも食べ物が優先する時代でした。開業当時は相当苦労したということです」と、創業者・中山繁雄さんの苦労を語り出してくれました。

 父親・繁雄さんは戦中に銃後を守る産業報国隊の役員として活躍。その功績と幅広い人脈から水戸市南町に当時の常陽銀行頭取の亀山甚さんのあっせんで、茨城の工芸品を販売する店を開いたのでした。

  中山社長自身は茨城師範学校(現茨城大学)附属小学校、中学校を経て水戸一高、明治大学と進学。中山社長の同期、先輩・後輩にはそうそうたる人々がいま す。ジャーナリストで評論家の立花隆さん、水戸商工会議所会頭の和田祐之介さん、水戸東武館・剣道八段の高山能昌さんなどそうそうたる同級生が中山社長と 席を並べていたのです。

 そのような中山社長は大学時代に現在の自分の経歴につながる強烈な体験をします。「大学時代、自動車部という の に所属していて、全国をドライブしていました。当時は食べるものと言えばラーメン・ライスが定番で山口県萩市で昼寝を兼ねて食事にラーメン屋に立ち寄った のです。そこの店主が元軍人だったのか筋が通っている人で、地元・萩の良さをとんとんと話したのです」と、青年・中山社長はその店主の話を聞いたそうで す。

 「その人は明治維新で長州が果たした役割を熱っぽく語りました。特に吉田松陰についてもものすごく話していて、私も水戸の出身で、吉田松陰が水戸の藤田東湖の元に教えを受けに訪れていたことなど話したのです」と言います。

 その時、中山社長は「カルチャーショックを受けました。地元をこれほど熱く語れる、地元をこれほど愛している人がいると。私も将来は、水戸の郷土自慢をできる人になりたいと思うようになりました」と、現在さまざまな公職に就いた中山社長の原点の出来事を話します。

  大学卒業に中山社長は川崎市内のデパートとスーパーを運営する岡田屋に入社しました。そこで1年間修業後、父親の元へと戻りました。当時、工芸デパートで は郷土工芸品のほかにも衣料品も扱っていたそうです。ファッション専門店として「工芸まりも」として女性用の衣料品販売も兼ねていたのです。

  「今でもありますが日本の伝統美を売る日本クラフトやストッキングなどを扱っていて、水戸駅にあった観光デパートなどにも出店していました。水戸市内の女 子高などでの衣替えの時期などには、ストッキングがものすごく売れました。また、オイルショックの際にはストッキングがなくなるという騒ぎで、ストッキン グを積んだトラックが到着すると、どこで見ていたのか、多くの人が詰めかけました」と、世相とともに歩んできた工芸デパートの歴史の変遷を紹介してくれま した。

 さらに中山社長はびっくりするような経験もします。「ある日を境に、葵のご紋を入れた印籠が売れ始めたのです。調べてみたら、 テ レビドラマ『水戸黄門』の何話か目で、水戸黄門が印籠を出すシーンが登場したのです。日本各地に印籠のお土産はあるのですが、水戸の印籠が一番売れたとい うのです」と、テレビの影響の大きさも体験しました。

 その後、茨城は観光客が訪れるビッグチャンスが訪れます。茨城国体と科学万博というオールジャパンのビッグイベントでした。

 「万博開幕当初はなぜか『ガマの油』が売れました。茨城パビリオンは奥まったところに配置されていたのですが、はじまってみると一番東京に近いところにあり、結果的に優位な場所で売れたのです」と、商売の意外性も感じたようです。
 県内のドライブインや道の駅などに茨城ならではのお土産販売を展開していた同社。順風満帆に家業を展開していた矢先、3・11の東日本大震災に見舞われます。当時、地下を含めて3階まで所狭しと商品を陳列していた店は壊滅的な被害をこうむりました。

 本震に続く余震で、店内の用品はすべて壊れてしまいます。「棚を押さえようとしたのですが、店の外に避難しました。本当に店がつぶれる思いをしました」と、震災後、本店を取り壊す悲劇に見舞われます。

 新生「工芸デパート」が再開したのは昨年11月でした。蔵造りの真新しい「工芸デパート」では商品も絞り、新感覚の土産物店として新たなスタートを切りました。

 中山社長は「地方色がなくなる現在でも郷土の工芸品を紹介していきたい」と、地元の工芸品ばかりではなく「水戸ちゃん」グッズなど新商品開発にも意欲を見せています。

Pick up Success in IBARAKI

“茨城の良さをアピールする工芸品を紹介し続ける”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
絶対的な観光地というのがないのが茨城の特徴で、この仕事では難しいだろう。県外からの業者も入っていて、新規企業はできないかもしれない。
質問2経営を始める際にやるべきこと、また、必要な準備は?
流行に敏感になることが必要だ。お土産もキャラクター商品などになっており、地域性が薄れているが、地元のことを学ぶことも大切だと思う。
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
地元新聞社などに広告を出稿している。長い間出すことで、認知された。「工芸デパート」と言えばうちであることが知られている。

これから起業する方への一言

“知り合いに会える店や会社を築いてほしい”

お土産業界はほとんど新規起業する方はいない。私は山登りをするが、山の中で人に会わなくても寂しさを感じないが、東京・新宿の人混みの中で知り合いに会えない寂しさは孤独だ。水戸ではそんな気持ちにならないよう、信号ごとに知り合いに会える店や会社を築いてほしい。

■地元を愛し、地元の知識を深める
■常に時代の流行に敏感になる
■人脈を大切にする



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