President file
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株式会社 ひたち農園
代表取締役  根本 茂幸さん

「農園」の意味は地域存続
地元愛にあふれる初代社長

「緒川村鶏卵組合」から「ひたち農園」へ農事組合法人から株式会社へ登記変えを実現。初代社長として社内改革を推進。ゴルフ場アルバイト時代に知り合った奥さまとの間に3女を授かる。ゴルフはハンデ8。かつてはモータースポーツでも活躍した。社員との懇親会も積極的に開き、会社と緒川地区の将来について意見交 換を図る。

Owners Company
株式会社 ひたち農園
TEL.0295-56-3078
http://www.okukujiran.com
常陸大宮市大岩1463-15

農事組合法人から株式会社へ
ブランド品「奥久慈卵」を次代へつなぐリーダーシップを担う

茨城県と栃木県の県境近くの山間地帯に位置する「ひたち農園」は2012年11月1日に産声を上げたばかりの会社です。社名は聞きなれない方も多いのでしょうが「奥久慈卵」という商標を聞けば、今では誰でも知っているブランド卵を生産・販売している会社です。

  株式会社となる前は農事組合法人「緒川村養鶏組合」という名称で、「奥久慈卵」を生産していたのです。「祖父が昭和55年に組合を設立しました。それまで も養鶏が盛んな土地柄でした。鶏糞などの公害問題もあり、養鶏団地を作り一カ所にすることで、問題解決と合理化を図ったのです」と根本社長は設立当時の様 子を話してくれました。組合設立の功労者である祖父・根本行雄さんの跡を継いで、父親の根本正文さんが組合のトップを勤め、「奥久慈卵」は主に都内での販 路を広げて行くのです。

 「コクがあって、濃厚な旨味が感じられる」―と、地元・茨城よりも東京の問屋さんを通して、都内有名料理店や高級ホテルなどでの取引が広がり、「奥久慈卵」は茨城ブランドの卵として首都圏で広がりを見せていきます。

  そのような祖父・父親の姿を見て育った根本社長ですが、高校時代からスポーツに熱中し、ゴルフに取り組み始めます。しかし、水戸の高校在学中に大病を患 い、ゴルファーとしての夢は砕かれてしまいました。根本社長は「高校卒業後はゴルフ場でアルバイトなどをしていたのですが、やはり、父親の跡を継ごうと栃 木県の卵屋さんに1年間修業に行き、その後、組合に入ったのです」と20年前を振り返ります。

 組合に入ってからは生産・販売とがむしゃらに働く日々を過ごします。地元商工会の青年部としての公職も経験して、組合経営にも尽力します。そのような活躍の中「奥久慈卵」は問屋を通じて、広く知られるようになっていくのです。

「いいものを持ってきて欲しいという有名ラーメン店からの要望に、うちの卵を持って行って採用されたり、メディアで紹介されたりして、こだわりのあるお店にはうちの卵が広まっていったのです」と根本社長。

品 質保持のためには飼料の配合や鶏の環境など様々な条件が必要です。根本社長は「ここは鶏に大切な水が幸いにミネラル分が多い硬水で殻をしっかりと作ってく れます。標高も150メートルと高く、空気の層も違った環境です。しかも隔離されているので、ほかからの病気の感染の心配も少ない。だから良い卵が生まれ るのです」と根本社長は「奥久慈卵」の優位性を説明してくれました。

 良い品質を保つためにはさまざまな難関もあったようです。鳥インフ ルエンザの流行や組合という組織に甘んじる組合員の意識の低下、品質への向上心が薄れるなど、「奥久慈卵」がブランドとして認識されるに伴い、思わぬ壁が 次々と現れて来たのです。 「卵の価格は変動相場制です。しかし我々は生産性の向上を常に追い求めて行かなければいけません。ニーズに応えられる生産が合わずに、辞めていった組合員 さんもいました」と苦しい状況もあったようです。そのような組合内部の意識改革が求められている中、農事組合法人から株式会社化への道が開かれました。

「そ れまで一度組合を解散しなくてはならないなど、複雑な手続きが必要だったものが、平成16年に法改正があり、株式化がスムーズになりました。それから株式 会社へするための準備をしてきました」と競争社会への道を歩み始めたのです。 さらに根本社長は「せっかくこうしてブランド卵としての高い評価をいただいているのだから、それを生かして卵を使った加工食品にまで拡げていこう」と玉子 焼きの加工にも取り組んできました。

 「奥久慈卵」を使った玉子焼きは、徐々に販路を広げています。近々、水戸の加工センターの開設も目指しています。

  組合から株式会社への道筋を辿り、初代社長となった根本社長は「私は第二次創業者ですが、地域への恩返しもしたいし、雇用も生んでいきたい。『ひたち』と いう名前は地元常陸大宮市の地名から取りましたが、『農園』という名前には、いろんな人が集まって来てくれるログハウスなどを建てて、そこでお菓子やケー キなどの玉子料理を作ってもらい、近隣の温泉などを楽しんでもらえる場にしたいのです」と将来像を描いています。

 卵を中心にさまざまな人が集い楽しむ場所として、「ひたち農園」というネーミングには壮大な夢がこもっているのです。
今は常陸大宮市となった旧緒川村ですが、地域の実情は高齢・過疎化の現実問題を抱えているようです。実際に旧緒川村の産業として、思いつくのは林業かわずかな農業しか思い浮かばない人が多いはずです。

 そこへ「奥久慈卵」というブランド品を確立して、首都圏でムーブメントを起こした組合が、株式会社として新たな一石を投じた「ひたち農園」。その波紋の広がりに地元ばかりではなく多くの県民が行く末を見守っています。

 温和で熱い言葉で語る根本社長のテーマは「この地域をどう次代に残していけるのか」。その理想の実現に向けて根本社長の実行力と社員の熱い思いが県民の期待に応えてくれるはずです。

Pick up Success in IBARAKI

“卵を通して触れ合い、地域の隆盛も図る”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
鶏卵業としては独立していくのはまず不可能だろう。初期投資から利益を得るまでの時間が掛かりすぎる。新規事業は無理だ。
質問2経営を始める際にやるべきこと、また、必要な準備は?
IT化をすすめるべきだ。手書きの帳簿付けなどはもってのほか。私は生き物を扱っているので技術力やデータ力が必要になる。経験も必要となる。
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
「奥久慈卵」は都内の問屋さんを通じて口コミで広がった。私自身Facebookなどで情報発信している。無料のネットアプリを使うのも有効だろう。

これから起業する方への一言

“何事も3年ぐらいはやり続けてみてはどうだろうか”

あきらめないでチャレンジしていくことが大切だ。創業してももちろん失敗の可能性がある。しかし失敗は体験であってそれは経験となる。それを積み上げていくことが大切だ。何事も3年ぐらいはやり続けてみてはどうだろうか。私もまだまだ体験させていただいている。失敗が許されない年代になる前に経験を積も う。

■自社ばかりでなく地域の雇用も視野に入れる
■法律の改正にもアンテナを高くする
■失敗は経験、それを積み上げて自分を磨く



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