President file
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株式会社 石川カメラ
代表取締役  佐野 俊也さん

門外漢から夫唱婦随で
受難の時代を生き抜く

東京都出身。中央大学卒。経営理念は「街のいきつけの写真屋さん」。生前遺影撮影の普及を目指し、人々の意識変革にも取り組む。奥さまが石川カメラ・故石 川信平社長の長女だったことからこの世界へ。カメラマン、経営者といった二つの壁を乗り越え、次の時代を見据えた経営を展開する。

Owners Company
株式会社 石川カメラ
TEL.029-221-7542
水戸市本町1-2-22

県内唯一の生前遺影撮影の専門部門を展開
「その人の生きた素晴らしい人生を残してほしい」

   アナログからデジタルへの移行。手軽な携帯カメラや家庭用プリンターの台頭。そして、少子化による需要の激減...。この数十年、いわゆる「写真業界」は、天 地を返したような激動の波に翻弄され続けてきました。今回は、そんな受難の時代を今も全速力で走り続ける、とある社長の物語。社長の名は佐野俊也。株式会 社石川カメラの代表取締役です。写真業界に留まらず、旧態依然とした経営は瞬く間に市場から駆逐されてしまう時代です。その最前線で戦う社長の言葉には、 きっと今を生き抜くヒントがきっと隠されているに違いありません。

 社長のビジネスストーリーは、大手ハウスメーカーでの営業職から始ま ります。配属地はつくば市。誠実な性格の佐野青年は、ここで着実に仕事をこなしていきます。当面の目標は、かねてより順調に交際を重ねてきた、さつき夫人 と結婚をする事だったそうです。実はさつき夫人、当時、現像・プリントショップとして成長を続けていた水戸市の写真館「石川カメラ」のご息女。当時、さつ き夫人はお店は絶対に継がないと断言しつつも、両親のあまりの多忙さを見るに見かねて、医療写真や学会で発表するようなスライド制作の特殊な仕事を手伝っ ていたのでした。その後お二人は、水戸とつくばの遠距離恋愛を見事に成就し、結婚。数年後、佐野社長は石川カメラに入社します。写真の知識など全く無かっ た佐野さんの大航海がこれより始まります。

 入社したものの佐野社長は写真業界では全くの素人。出来る仕事といえば営業だけで、当初は外 回りの仕事に専念する事に。医療などの専門分野を得意としていた石川カメラでしたが、写真館としての七五三や成人式、ブライダルなどの撮影も当然こなさな くてはいけません。ほどなく、写真の門外漢だった佐野社長も必然的にカメラを手にしなくてはならなくなりました。「それまで写真なんて撮ったことがなかっ たのですが、プロのカメラマンさんに付いて回って、その撮影技術を見て覚えました」と独学でカメラマンの道へ進んでいきます。

 いばらの 道とはいえ、カメラマンとして第二の人生を何とか進んでいた佐野さんでしたが、最悪の暗黒時代が到来します。「バブルの崩壊」です。それはそれは散々たる ものだったそうです。街の写真館の得意としていたブライダル、学校関係、プリント現像などの仕事は大激減。追い打ちをかけるように、デジタルカメラ、パソ コンの普及によって写真の内製化が加速。「既存のカメラマンにとってはまさに受難の時代です。気軽にデジカメや携帯電話で撮影出来るようになり、家庭用の プリンターでもきれいにプリント出来るようになりました。もちろん、ブライダルなどは8月を除いて年間の需要はありましたが、今だかつてない感覚で写真館 が潰れていきました」と振り返ります。

 さらに、苦難は続きます。なんと先代の石川信平社長が急死してしまうのです。今度はいきなり経営 者としての責任が佐野社長に覆いかぶさります。「それまで経営のことにはタッチしていなかったので、問屋さんへの支払いの事さえ分からなかったのです」と 佐野社長。「目の前の事をしっかりとやらなければ」。とにかく事業を継続しながら社長は石川カメラのあるべき姿を必死に考え続けます。そしてある時、一つ の結論に至ります。それは写真業としての原点「人々に求められる写真館」に戻る事でした。

 社長は「写真に限らず、商品を立派に見せれば 皆に買ってもらえる時代は、すでに過ぎてしまっているようです。これからは人それぞれの価値観に寄り添っていくことが大切です。人生のフィナーレを飾る写 真もその一つだと考えています。お宮参りや七五三、結婚式なども人生の節目、そこで撮る写真は素晴らしい価値があると思います。同様に今後はセレモニーや 生前遺影撮影に価値を置く人も増えていくのではないでしょうか」と語ります。

 さらに「現在は『終活』と呼ばれるように、生前に自分の人 生をどのように終えるかを考える時代になってきました。海への散骨や樹木葬などの形態も定着しつつあり、人生を振り返るエンディングノートをつける人も増 えています。生前にその人なりの一番良い環境の写真を残してあげたいのです」と想いは尽きません。さらに同席された、奥さまのさつきさんも「私たちの身の 回りにいる人たちも必ず死を迎えます。いろんな職種の人がいて、その生きた姿で最後を飾っていただきたい」と言葉を繋ぎます。

 社長の熱 い気概によって、生前遺影撮影はこれからの石川カメラの将来を担うことになりそうです。「もちろんスタジオでの撮影もお受けしますが、ここまで来られない 方には県内なら出張費無料で撮影を行います。ぜひ、あるがままの一番良い表情の姿を残して欲しい」と佐野社長。「集合写真の本当に小さな写真から大伸ばし に修正すると全く別人になってしまいます。ぜひ、生前に遺影写真にも使える記念写真をどうぞ」とのこと。

 石川カメラは、県内で唯一の生前遺影撮影店としての第一歩を踏み出しました。

Pick up Success in IBARAKI

“専門分野を磨くことで生き残る”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
茨城は日本一の写真館の激戦区と言われている。大手3社が存在して、しかも結婚式場も人口比あたり一番多いと言われる。写真館の独立は厳しい。
質問2経営を始める際にやるべきこと、また、必要な準備は?
私たちは今でも、専門の写真館へ教えを受けたり、各種セミナーなどにも積極的に参加している。起業してからの勉強が大切。
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
県北で生前遺影撮影を契約しているセレモニーホールでチラシに広告を入れてもらったことがあるが、まだ、茨城は県民の意識は低いと感じた。

これから起業する方への一言

“ひとつのことに特化すればお客様を得ることが出来る”

写真館の分野で言えば、何かひとつでも得意分野、専門性を持つことが必要だ。例えばマタニティー専門で女性だけのスタッフを揃えるとか、ペットを写せば誰にも負けないとか。これまでは何でも撮影出来る写真館でなければお客様を取れないと思われていたが、ひとつのことに特化すればお客様を得ることが出来るはずだ。

■時代に翻弄されながらも次代を見据える事業展開
■茨城の写真業界は日本一の激戦区。生き抜く工夫を
■地域一番の専門店を目指す



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