President file
50

株式会社 イサカホーム
代表取締役  井坂 一二さん

大工職人から企業へ、
成長を見据えた中興の祖

水戸工業高校卒業後、大手工務店、ハウスメーカーに勤務。3女の父親。中学時代は野球、高校時代はラグビーを。社会人になってからは健康診断の結果から キックボクシングなどに挑戦。最近は県内3大マラソン大会に出場。仕事を終えた後、千波湖を3周するジョギングが楽しみという51歳。取得した大型バイク 免許でハーレーに乗るのが楽しみ。

Owners Company
株式会社 イサカホーム
TEL.029-305-3118
http://www.isaka-home.co.jp
水戸市笠原町682-13

父親から継いだ個人商店を企業へと発展
下請けからお客様の顔の見えるハウスメーカーに成長

今回は、職人気質で生粋の大工である父親が立ちあげた昔ながらの工務店を、紆余曲折を経ながらもハウスメーカーと呼ばれるまでに発展させた男の物語。井坂一二社長、主人公はこの人です。

  プロローグは中学時代、水戸工業高校建築科を志望し見事に合格したところから始まります。三年間しっかりと基礎を学び、卒業後は下館の工務店に就職。さっ そく厳しい修行の道へと入る事となります。とはいえ、担当の業務は家業の「木造」ではなく「鉄骨・鉄筋」。大きな建築現場の監督として経験を重ねますが 「いつか木造もやらなければ」と考えていたそうです。

 そんな矢先、第一の転機が訪れます。工務店を経営されていたお父様が、突然、胃潰 瘍で入院する事態になってしまったのです。まだまだ修行中の身とはいえ、背に腹は代えられません。社長は即座に決断。いったん実家へ戻り工務店の仕事を手 伝いはじめます。「私が高校時代の頃は父親の仕事はかなりの受注があり、業務も詰まっていました。しかし、戻ってみると、まるで様子が変わっていたので す。仕事がない」。腕の良い職人であればいくらでも仕事があった時代は終焉を迎えていました。「父は、他人に頭を下げることができない人。営業活動をする 事自体を恥ずかしいと感じる人でした」と社長は、当時を振り返ります。

 「やがて1カ月先の仕事もなくなるようになりました。そこでやむ なく大手ハウスメーカーに相談したところ、アパート1棟、住宅2棟の下請けを行うことになったのです」。ピンチをしのいでくれた大切な仕事でしたが、井坂 社長はここで多くの事を感じます。「下請けという仕事は、利幅は小さく、しかもお客様と接することのできない形態なのです」。理念として利幅は我慢できた としても、自分が建てた家主とふれあう事も出来ない無機質な仕事は出来ない。やりたくない。「この時私は、下請けはやらない会社に絶対、成長しようと心に 決めました」と、当時の覚悟を語ります。

 直接受注をするには優秀な技術力はもちろん、営業力が必要だと実感した井坂社長は、大手ハウス メーカーが持つ様々なイロハを習得するために、再び修業の道に入ります。「飛び込み営業の仕方やチラシの効果的な配布法など、営業の基礎を徹底的に学ばせ ていただきました。これからは父のように仕事を待っているだけでは駄目で、積極的にアピールしていかねばならない時代だと痛感したのを覚えています」。覚 悟を決めた社長にとって充実の日々だったに違いありません。

 そして、運命の日は訪れます。お父様が今度は心臓発作で倒れてしまったので す。井坂社長は実家の井坂工務店に正式に入社を決意。「入社当時は私も現場で働き、経理は母親がやる状態でした。しかし、前より仕事がない。あるのは建築 業の許可と月々の支払いの返済があるだけでした」。まさに、どん底からの船出です。

 しかし、ここから社長の快進撃が始まります。まず、 国民金融公庫から融資を受けて大手フランチャイズに加盟し、まずは年間10棟ほどを手掛ける工務店へと歩みを進めます。やがて「井坂工務店」を平成4年に 有限会社化し、平成9年には「株式会社井坂工務店」と法人化を進めていきました。又、社長の実のお祖母さまがお風呂上がりに、浴室との温度差が原因で倒れ てしまったという苦い経験から、是が非でも紹介したかった「外断熱」住宅の展示を開始。さらに、当時としては珍しい宿泊体験型のモデルハウスを建築しま す。「食事や宿泊をしながら住宅の良さを体感してもらいます。約7割が成約に結びつきました」と井坂社長の狙いはズバリと当たります。

  さらに、井坂社長のアイデアは次の戦略を展開。平成15年に茨城町に「建材市場」をオープンさせます。これは台所やお風呂、トイレといった水回りなど各 メーカーの展示替えの品を引き取り、アウトレットとして格安販売するもので、現在は「リホーム館」として成長発展を遂げていきます。

 やがて、水戸進出を見据えていた井坂社長は「工務店では、ハウスメーカーとしての印象に欠ける」と平成17年に社名を「株式会社イサカホーム」に変更。同19年に本社を水戸市笠原町に移し、展示場もオープンさせていきました。
そして、経年劣化による住宅の傷みにも注目。それらをフォローするためのFC「プロタイムズ水戸中央店」を出店。外壁などの塗装のほか細かな修理・補修にも対応するためのアフターサービス事業「ハンディマン」のFCにも加盟し、細かなサービスにも対応します。

  社長は「新築は現在年間80万戸と言われていますが、少子高齢化の影響で10年後には半減すると言われています。今年3000万円の住宅を建てた方でも、 1年後には2000万円の資産価値になってしまう」と、消費税増税を見据えた中古住宅の個人間売買の仲介やファイナンシャルプランナーの資格も取得し、お 客様の人生設計にも今後は積極的に関わっていくそうです。

 個人商店だった「井坂工務店」から「イサカホーム」という中堅ハウスメーカーへと規模を拡大させた井坂社長は、父親の家業をさらに飛躍させた同社中興の祖として、今後も大きな活躍が期待されています。

Pick up Success in IBARAKI

“だれでも修業をすることが基本”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
新築の棟数を求めていては駄目。いかに個性的で高品質の住宅を建てられるか。ビジネスと考えるよりも良い職人として個性を発揮すること。
質問2経営を始める際にやるべきこと、また、必要な準備は?
基本的に修行は必要。資格があってもペーパードライバーに過ぎない。経営者になることは全ての責任を負うという決意が大切。
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
チラシや展示場でのイベント開催などを実施している。住宅雑誌などにも取材協力したりするが、お客様の口コミも大きい。

これから起業する方への一言

“困難を乗り越えて自由な時間を得る経営者になってほしい”

経営者になると自由な時間もなく、起業するにも大変な努力が必要だ。しかし、困難を乗り越えて自由な時間を得る経営者になってほしい。JCやライオンズク ラブなどの活動に参加することで、良き人々にも恵まれた。でも私の場合はお客様にも恵まれた。社会活動にも積極的に参画することで、事業の発展も図れる。

■資格を取っただけでは駄目で修業を積むこと
■JCなど社会貢献活動に参加し、人脈を広げる
■個性的で高品質のサービスを提供し続けることが大切



写真を右に1つ進む

写真を左に1つもどる