President file
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新和自動車工業株式会社
代表取締役  尾又 英敏さん

社員の質の向上図り、
会社として成長を目指す

水戸市出身。茨城高校、日本大学を経て、新和自動車工業へ入社。父親から会社を引き継ぎ、下請け整備工場からの総合自動車会社へと事業展開。毎年前年比を 上回る業績を達成する。引退後は奥さまとともにヨーロッパなどの鉄道の旅をしたいとの夢を持つ。息子で専務の尾又泰雅は元プロゴルファーで、スポーツ一 家。

Owners Company
新和自動車工業株式会社
TEL.029-251-1056
http://www.shinwa-cars.info/
水戸市河和田町551-1

ディーラーの下請け工場から脱却
思い切った業態転換で衰退する
町の自動車整備工場を成長させる

厳しい自動車業界の現状を「町の自動車整備工場は年々減少していく傾向がみられます。」と尾又社長は話します。それは自動車自体の品質が向上し、壊れにくくなった点もありますが、大きくは各ディーラーが自社工場での内製化を進めていることが大きな背景となっています。

 「ディーラーが車体整備の仕事を外に出さなくなったんです。さらに、車検をしてもらうと自社のカーナビなどのバージョンアップや保証の延長などのサービスをするなどして顧客を囲い込み、町の修理工場には仕事が流れてこないシステムになりつつあります。」

  そのような時代に生き残れる整備会社を見越して、尾又社長は社長就任とともにそれまでのディーラーの下請け会社から業態を一新させ、営業戦略を大きく変え ていきました。保険会社、ディーラー、一般のお客さまとそれぞれの営業面を強化し、さらに自動車販売へも力を注いできました。

 その結果、「初年度が前年対比141%、さらに翌年は140%、127%と、年々業績を伸ばしていくことができました」と尾又社長。売り上げは毎年前年を上回る成長を続け、初年度の6倍の売り上げに達しながらも、さらにプラス成長を続けています。

  「改革当初はフロント営業員は4人でのスタートでしたが、今は10人体制になりました。車検、販売、保険など、今まであまり取り組んでいなかった部分に営 業を展開したのです。今は、社内に営業推進チームを作って、外へしっかりと発信していくことに取り組んでいます。」と言います。

 さらに、それまでの現在の河和田、小美玉の2工場に加え、水戸市のアナハイム通りにも拠点を展開。今年6月末には、新たにつくば市内にも営業拠点を展開するという勢いをみせています。

 昭和36年、父親である先代が水戸市渡里町に修理工場を始めたのがスタートでした。その後、千波町に移転。さらに千波町の工場は周辺に住宅などが隣接してくるなど、自動車整備工場につきものの騒音や異臭などの対策のために、現在の水戸市河和田町へ移転しました。

  その頃、尾又社長自身は体格を生かして大学の野球部員として進学するものの、在学途中でリタイア。実家の自動車整備工場に入社します。整備の現場にも立っ たことはありますが、主にディーラーとの折衝や見積もりなどマネジメントに従事。「当時でも30人ぐらいは社員はいましたが、デスクワークができる人がい なくて、私がやることになったのです」と尾又社長。

 「私は52歳で社長という肩書をもらいましたが、それは名ばかりで、実権は父親が握っていました。父は古い人間でした。それは良いところでもあるのですが、それでは今はもう会社は無くなっていたかもしれません」と言います。

 順風満帆に見える新和自動車工業のこれまでは、実は苦難の道のりでした。

  尾又社長が実質的に社長に就任した際、会社は大きな借金を背負っていました。そこで、これは改革が必要だと思い立ち、前述の業務刷新に取り組んできたので す。「辞めようかと思ったことは何度もありました。でも社員たちが"頑張ってやっていこう"と言ってくれたので、何とかここまで会社を大きくすることがで きました」と、社員の力で苦難の時期を乗り越えてきたことを話してくれました。

 さらに、尾又社長は続けます。「私は何の能力もない人 間 ですが、人にあれこれ言うのは得意なんです(笑)。そもそも会社の質とは社員の質ですから、良い社員が多い会社は良い会社だと言えると思います」と社員の ホスピタリティー向上にも積極的に取り組み始めます。「あたたかい心を持って、パートナーシップを築いていきます」という、経営理念もはっきりと明示。さ らに、社外から講師を招いて、研修会を定期的に開催。現在は都内などのコンサルタント会社4社から指導を受けています。

 同社を訪れると、フロントの社員全員が立ち上がってお客さまを出迎えるなど、自動車整備工場とは思えないお客様第一の対応が一般ユーザーに心地よさと好印象を与え、今日の発展の大きな力となっています。

 6月末にオープンするつくばの拠点もその理念に基づき、「事故に遭われたお客さまのところへ、事故処理が終わるまでのせいぜい30、40分後には現場に駆け付けたい。事故の現場に1時間も2時間もお客さまを待たせたくないのです」とつくば進出の動機を語ります。

  「つくばには整備工場のすぐ隣にカフェを作ります。来店されたお客さまには無料でコーヒーをご提供します。気軽に遊びに来てください。」と尾又社長。こち らのカフェは、コーヒー豆にサザコーヒーを使用するなど、こだわりの利いたおしゃれなお店。「『ここって本当に自動車会社がやっているの?』と思われるよ うな店にしたいですね」とその完成を心待ちにしています。
同社では積極的にイベントの運営にも参加しているのも特徴です。自動車整備工場として水戸市の産業祭にも出展し、整備技術をアピールするなど、一般のお客さまとの距離を縮めることに力を注いでいます。

 その一環として、かつては野球選手であった尾又社長が、今夏7月7日(土)、8日(日)に開かれる、伸和商事様の「シンワ杯」に参加協賛し、少年野球大会を田野市民球場で開催予定です。

 会社の成長と事業展開は「常にお客さまの近くに立っていたい」という尾又社長の信念が形となり、歩み続けてきた結果といえるでしょう。

Pick up Success in IBARAKI

“地域活動にも積極的に関与し、お客さまの近くに立つ”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
私は茨城以外は分からないが、茨城はどんな商売でもとっつきにくい面がある。けれど、縁を結べると長く付き合ってくれる面もあり、良いところだと思っている。
質問2経営を始める際にやるべきこと、また、必要な準備は?
私の会社からも50人ほどが独立していった。社会情勢や後継者問題などで今は10社ほどになってしまった。技術習得だけでは成功はしない。経営感覚を磨くこと。
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
外に向かって積極的なキャンペーンを展開することも必要。産業祭などにも異色の業種かもしれないが積極的に参加して、PRに努めている。

これから起業する方への一言

“つらさは一杯あるが、心を折らないこと”

しっかりとした目標と気力が必要だ。会社経営のつらさは一杯あるが、心を折らないこと。また、ゴルフでもそうだが良いきっかけをつかむか、悪いきっかけをつかむかでスコアが変わってしまう。いかに良いきっかけをつかむのかに気付いて、努力して欲しい。

■ときには大きな業態転換も必要
■社員教育は金を掛けても取り組む
■常にお客さまの近くに立つ意識を



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