President file
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株式会社 サザコーヒー
専務取締役  鈴木 太郎さん

危険な冒険も顧みず
国内外で活躍する行動力を発揮

ひたちなか市出身。東京農業大学卒。コロンビアでのコーヒー農園経営のかたわら、サザコーヒーの運営で経営手腕を発揮。次々と新機軸を打ち出す一方、経営バランスにも気を配る。「自分で食べたいものしか提供しない」と、店で提供するあらゆる食品安全対策(放射性物質のチェック、出来る限りの無添加無農薬)にもこだわり、飲食店としてのサザコーヒーの信頼確立にも気を配る。

Owners Company
株式会社 サザコーヒー
TEL.029-274-1151
http://www.saza.co.jp/
ひたちなか市共栄町8-18

国情や災害を乗り越えコロンビアでコーヒー農園を展開
産地を巡り、最高のコーヒー豆を買い付ける日々


茨城県内はもとより、東京・品川と埼玉・大宮の駅ナカ、二子玉川など首都圏で店舗を展開し、サザのコーヒーは今や茨城を代表するブランド品としてブランド戦略を進めています。

サザコーヒーは太郎さんの父親・鈴木誉志男会長が1969年にひたちなか市に設立したコーヒーの専門店です。創業以来、独自のコーヒー豆の仕入れや焙煎などの努力を積み重ね、現在は10店舗を運営し、さらに多くの飲食店がサザのコーヒー豆を使用するというブランドを築き、さらに2代目となる太郎さんがその会社を一層磨きあげ、親子鷹で、コーヒー業界でも確固たる存在感を示しています。

現在、年間の3分の1以上は国外を飛び回る太郎さんの経歴は2代目御曹司というイメージとはかけ離れた経歴で、さまざまな経験を経て、経営者としての資質を体得してきたのです。

「高校は某県立高校の初代入学生でしたが、ドロップアウト。キリスト高校へ入り直してしかも留年して高校を卒業したのは20歳でした」と青春時代を振り返ります。その後、大学進学を目指して東京の予備校へ通うものの「23歳の時に、両親が地元や東京の友だちと引き離そうと、『もうそろそろ働いてくれ』といわれて取引先の大阪のコーヒー豆問屋へ飛ばされたのです」と進学を一度は断念して、社会人生活を送ることになりました。

しかし、そこで働いているうちに上司からの「高卒は大卒者に意見も言えない」という言葉を聞き、猛烈な学歴コンプレックスを感じたそうです。改めて受験意欲がわき、会社の残業後に受験勉強に取り組み、問屋勤めの2年後、東京農業大学へ入学を果たしました。「稲作などよりもフルーツが好きだったので、果樹栽培を目指していました。都会では生活したくないと思っていたので、田舎で土と触れ果樹栽培農家をしたかったのです。ところが大学2年の時に父親がコロンビアに農園を買ったというのです。卒業と同時にコロンビアへ行くことになりました」と、波乱に満ちた社会人生活のリスタートを切ることになったのです。

「コロンビアへ行くとき、仲介に入った商社の人から『死んでしまっても、うちとは一切関係ない』と一筆書いてくれと言われました。聞いてみると、その元の農園主は殺されており、しかも数年前には奥さんも殺されていたんです。さらに管理人の事務所も襲われていて、治安が最悪だったのです」とコロンビアでのコーヒー園の経営は命がけの事業となりました。

「コーヒー農園は少なくとも10ヘクタールはないと経営は成り立たないのですが、そこは3ヘクタールで、しかも30%は使えない土地です。管理人もひどい人で、収穫時期に行ってもコーヒー豆がないのです。聞いてみると『ゲリラが収穫していった』という有様で、また経費だけは肥料や人件費が高かったというのです。2000年からコロンビアに行っていたのですが、2008年についにその管理人をクビにして、新しい管理人を雇いました」と、国情の違いに苦悩する日々を送ります。

農園の運営はさらに最悪の状況を迎えます。新しい管理人を雇って再スタートしたものの2008年は大雨被害で、翌年にはエルニーニョの影響でコーヒーの木が疫病で全滅するという壊滅的な状況に陥ります。しかし、再起を決して、新た栽培に取り組み、3年目の今年の5月には最初の収穫期を迎えることができる見通しが立ったのです。太郎さんは「今年のコーヒー豆はバケツ1杯分ぐらいしか収穫できないのですが、濃い味と高い香りのコーヒー豆が見込まれます。今年秋には提供できる予定です」と話します。

コーヒー園の運営に携わる一方、日本に帰ると経営も積極的に関わっております。「2001年コロンビアの研修が終わり日本に帰ってきてビックリしたのは、社員も含めて店員のバイトさんたちがTシャツ姿で、しかもビーチサンダルなんか履いている人もいて、これではいけないと、経費は掛かりましたがコンサルタントに研修を依頼したりして、ホスピタリティーを充実させたのです」と店舗の運営にも参画し、若き経営者としての手腕を発揮していきます。

太郎さんはコーヒーにまつわるさまざまな商品開発にも果敢に挑戦しています。最後の将軍・徳川慶喜公のひ孫にあたる徳川慶朝氏とともに「将軍珈琲」を手掛け、日本橋三越本店でプロモーションを実施。「妻と二人で行ったのですが、経費も出なかったけど、反響はものすごかった」とその成功は、サザコーヒーの都内出店への足がかりとなりました。

現在、取り組んでいるのは世界最高種と言われるパナマ産の「ゲイシャ」品種の買い付けと啓豪です。パナマの「ゲイシャ」は世界一高価で、上品な果実の香りと甘い味がとにかくうまい。パナマのエスメラルダ農園で生産される「ゲイシャ」は競売に掛けられるのですが、2009年から3年連続で最高価格で落札。世界最高の味を提供出来るのは世界中捜してもこのサザコーヒーだけでしか味わえないのです。

太郎さんは現在年間100日以上を産地ですごしています。直営農園の運営のほか契約農園への訪問や世界各地で開かれる品評会審査員への参加。そこで出会えるチャンピオン農園主らとの交流など、コーヒーの業界で国際的な活躍を行っています。「父親の仕事を引き継ぐなんで思ってもいなかったのですが、今はコーヒーが面白くてたまらない」と、仕事も趣味もヒーヒーに没頭する生活を送っています。

Pick up Success in IBARAKI

“思ったことはためらわずにチャレンジする”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
リスクも多いが産業動向を見据えれば、どこであろうがビジネスチャンスはあると思う。まじめな県民性の人材的なアドバンテージはある。
質問2経営を始める際にやるべきこと、また、必要な準備は?
商売はお客さまに合わせて業態も変わってくる。変化に柔軟に対応できるフットワークの軽さと勇気を持つこと。徹底した顧客マーケティング。
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
茨城は中身が良ければ見かけは何でも良いという風潮があるが、それでは駄目だ。見た目も中身も良い物を提供することが大切だ。

これから起業する方への一言

“お客さまに金額以上の満足を与えることができるのか”

お金を稼ぐのは大変な事。商品でもサービスでもお金を払ってくれるお客さまに金額以上の満足を与えることができるのか、毎日が七転八倒、悪あがきをしている。顧客のための視点を忘れないことが大切だ!

■店舗形態、サービスは常にお客さまに合わせて変化させていく勇気を持つ
■危険な環境でも果敢に成功を模索する
■厳しいハードルが経営者を努力させる



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