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株式会社茨城ケアシステムズ
代表取締役会長 本田 秀樹さん
お客さまの視点にたって
常に事業と組織の見直しをためらわず
熊本県生まれ。茨城の地で創業し、ダスキンの事業を展開するほか高齢者などのバリアフリーの事業も展開。昨年、肺ガンを克服「自分は生かされている」と感じ今やらなければならいことに死力を尽くす」という。趣味は禅画を描くこと。
- Owners Company
- 株式会社茨城ケアシステムズ
- TEL.029-303-7511
- http://ibaraki-care-systems.com/
- 水戸市見川4-395-1
時代と将来を見据える経営手腕
本業のほかNPO法人などで
積極的に社会貢献活動に参画
独立の転機は35歳の時でした。
熊本県生まれ、福島県いわき市育ちの青年が何度かの変転を経て出会ったのが「損と得とあらば、我迷わず損の道を行く」というダスキンの社訓に出会ったことでした。
その言葉に触発され、県内有数の総合清掃会社の茨城ケアシステムズを作り上げたのが本田秀樹社長です。
福島県内有数の進学校・磐城高校から学習院大学に進学した本田社長はそれまで、人としゃべるのが苦手で上手く人と話すことも出来ないという性格だったそうです。
「このままでは社会で通用しないと自覚し、生い立ちや環境を変えなくては」と大学時代は空手道の部活に専念。
空手によって自分を変えようと練習に励んだそうです。
大卒後、最初に入社したのが清涼飲料水の会社でした。
勤務地は岐阜県。
そこで職場の実態を目の当たりにします。
ただ売上と数値だけをひたすら追求していく現状の環境を変え、個性と人間味あふれる職場づくりへの脱皮を計るため、入社わずか半年ほどで組合の立ち上げを画策しました。
しかし、それは本社の知るところとなり、組合設立は頓挫します。
自身が悶々とした社員生活を送るうちに、現在の奥様の地元・茨城へと新天地を求めて退社してしまいます。
茨城・那珂湊に居を構え、次ぎに入社したのが伊勢甚不動産でした。
中途入社、25歳の時でした。
その後、1年余りで社長室に配転。
スーパーの現場を知るためアメリカなどへも派遣され、セミナーなどにも参加。
やがて、若き本田社長は「35歳で独立」という本に出会います。
その本は「読んだ中身は忘れてしましましたが、独立の契機は35歳なんだ」と、35歳で独立を決意します。
ジャスコとの合併によりジンマート自体の存続が危ぶまれていたころでもあり、社会環境も本田社長の独立の背中を押したのでした。
退職後に始めたのはダスキンサービスマスター事業への参加とともに、ひたちなか市に開業した長崎屋の中にワイン専門店の「幸秀屋」という店です。
そのころテニスを親しんでいた本田社長は「テニスをやっている人たちはテーブルワインを楽しむタイプ。
ライフスタイルにマッチする」と女性店員だけのワインショップを開店させました。
奥様を中心にした同店は順調に業績を伸ばしていきます。
その一方、伊勢甚時代の退職金をつぎ込んでダスキンの大阪での研修会に参加した本田社長はまだ、掃除というのを他人任せにする習慣のなかった日本の社会に新しい風を吹き込もうとするダスキン事業に力を入れます。
1984年に水戸に本社を構え、ダスキンの事業に力を注ぎます。
エアコンのクリーニングや害虫やシロアリの駆除などにも取り組みます。
しかし、それはあくまでダスキンのフランチャイズの一員としての仕事でしかありませんでした。
本田社長は「ダスキンのミニ本社を地域で目指すのではなく、地域社会のお客さまの意に沿った仕事を作るべきだ」という意識を持つようになったそうです。
県内の病院施設などのヘルスケアマネジメント事業を開始すると、1994年に社名を現在の「茨城ケアシステムズ」に改称。
資本金も増資して、2003年には地域活性化事業と環境問題を扱うNPO法人「グリーンピュア」を立ち上げました。
会社とは別組織で非営利団体として、地域に貢献する会社の在り方を模索しました。
NPO法人は組織改編などを経て、現在、県の事業委託として、県指定介護サービスの調査機関さらに国の委託事業として、求職者支援事業等の事業展開、また、高齢者の独居住宅の実情を調査するなどの業務を展開し、その成果を結ぶことも間もないことでしょう。
「飲食店では配管の老朽化や店舗の廃油に悩んでいる。
そこで2009年グリストラップサービス事業を始め、高齢者や身障者のための住宅環境を整備する住環境コーディネイト事業も始めました」と本田社長は語ります。
「私は仲間や先輩の助けもあり運が良かったのかもしれません。
これからは恩返しと思っています。
社会の組織をもう一度見直して、お客さまにとっても、うちの会社が伸びていくのはうれしいと思える会社にしていきます」と本田社長。
本田社長は今、「損の道を選んだ」意味を実感しているそうです。
それは本田社長自身の座右の銘「脚下照顧」「忘己利他」の精神が実現へと向かう道筋が見えた境地に達したことでもあります。
2011年3月11に起こった未曾有の東日本大震災。
こうした中、200名余りの震災遺児が残されました。
この少年少女たちに向け、会社として何をすることができるか、また何が求められているかを考え、NPO法人グリーンピュアと共に「DUSKIN ICS震災遺児支援キャンペーン」を実施しました。
このキャンペーンでは、エアコンクリーニングなどのサービスを通常の半額以下という安い値段で提供しながら、純利益をすべて使用し、震災遺児に靴を購入、寄付するという方法です。
このように、お客様にも被災者への支援を手伝っていただく形でご協力をいただきました。
2012年3月には集まった収益をとりまとめ、靴を購入して発送する予定です。
これから起業する方への一言
“まず自分の足元を見つめること”
「脚下照顧」という禅の言葉があるが、まず自分の足元を見つめること。他人のことをとやかく言わず、自分の本性を見つめ、よく反省し、考えを深めよう。
■35歳は将来を考えるひとつのターニングポイント
■利益を出している時に次の柱を立てる
■顧客意に沿った仕事を作る