President file
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株式会社エヌ・ティー・ビー
代表取締役  古徳 勉さん

洋食の見習いからスタート
県内有数の飲食チェーン店オーナーに

1948年生まれ、常陸太田市出身。水戸第1商業高等学校卒業後、洋食店に修業。独立、結婚後、妻を風邪で亡くすという悲劇に見舞われる。その際「人は自分の力だけではどうしようもないことがある」と目覚める。東日本震災後は被災地に食百年の仲間と共に5000食を届けるなどのボランティア活動にも従事する。

Owners Company
株式会社エヌ・ティー・ビー
TEL.029-254-5919
http://www.ntb-k.jp
水戸市河和田町1-1509-2

話し下手でも情熱と真心で起業40周年
茨城発の食べ物文化を考案、さまざまな飲食スタイルを提案する

県内有数の外食産業企業を作り上げたエヌ・ティー・ビーの古徳勉社長は、文字通り"裸一貫"で現在の地位を築いた、サクセスストリーの成功者の一人です。

しかし、その成功の影には、人並みならない努力が隠されており、これから起業しようとする人たちの良き道しるべとなっています。

古徳社長は常陸太田市(旧金砂郷町)の出身で、水戸の高校を卒業後、水戸市内有数の洋食店「よこかわ」で料理人としての修業をスタートさせます。

実家は農家でしたが、農家の仕事は不規則で、子どもの頃から自分で夕食を作っていたという古徳社長。

「美味いものを腹一杯食べたい!」というのがこの道に踏み込んだ動機でした。

その後、独立する先輩とともに東京の洋食店へ。

有名店でコックのチーフなどを勤め、料理の腕に磨きを掛けて行きます。

1970(昭和45)年に当時としては珍しい軽自動車による屋台ラーメン店として、東京・世田谷で創業します。

その翌年には有限会社として水戸市南町にレストラン「キャンドル」を設立。

街の洋食店としてピザ、ビーフシチューをメインとしたお店を出店します。

しかし、その経営はままなりませんでした。

しょうが焼きやパスタなどランチメニューも充実させたものの、じり貧状態が続きます。

「自分からプラカードを持ってチラシを配ったり、雨の日に来店された方にはサービス券を配ったりしました」と、苦しかったころを振り返ります。

時代はやがてファミリーレストランを生み、大手外食産業がその資本力で、古徳社長の店の半額近い価格で、洋食を提供し始めました。

水戸市内でも街のレストランが次々と客を奪われ、店を閉じる所が増加。

古徳社長は「街の洋食店では食べていくことは出来ない。郊外に出るしかない」と決意。

1978(昭和53)年に見和に「らーめん古潭」を開店させます。

「洋食のコックとしての自尊心は持っており、本当はやりたくなかったのですが、独立したときは屋台のラーメンだった、でもラーメンばかりでなくとんかつやコーヒーも出す店にしたのです」と他店との差別化を図ったメニューをラインナップにそろえました。

「トンカツラーメンの店」はとんかつの中に餃子のあんを詰めたものを考案。

洋食の経験を生かしたメニューは爆発的なヒットを生みます。

「中国料理のコックさんを雇って、高いというイメージの中国料理を半値以下の価格設定で提供しました。

大当たりしてお客様が2時間待ちという状態でした」と成功への階段を登っていきました。

成功とともに経営者としての悩みが古徳社長を包み始めました。

「出前など一生懸命やってもせいぜい店から3キロ範囲。

そこでせこせこ走り回っているだけで一生を終えてしまうのか?」。

その時に、東京で能力開発セミナーが開かれ参加したことで、新たな道が開けてきました。

ナポレオン・ヒルの成功の哲学に触れ、「夢は実現する!人は考え方によって変われる-という気づきがあって、外へ出よう」と決意を新たにしたのです。

さらに「多くの人と出会うこと。

一流の人と出会うこと」という信奉する人の言葉を聞き、東京のコンサルタントとの出会いが訪れます。

古徳社長の「大きくなりたい」という夢が現実のものへとなっていきます。

「当時はすかいらーくさんが全盛で、お会いした時、名刺を渡すことが出来ませんでした。

自分自身が悔しくて、精神的にも大きくならなければならない」と精神修業にも励むようになりました。

「すかいらーくも最初は2店舗目を出店した際に、コックさんが言うことを聞かなかったそうです。

会社を組織的にして、自分は作るのじゃなくて、運営という外から見ようと思ったのです」と、古徳社長は料理人から経営者へと変身しました。

そこから古徳社長は那珂市に2号店となる「手打ちらーめん古潭」を開店させ、社名も「有限会社古潭」に変更。

さらには内原にセントラルキッチンの工場を設立。

日本食の「常陸乃国かぐや姫」を開店。その後の急発展ぶりは目を見張るものがあります。

2002年にはそれまであった「古潭」と「フューチャー」を統合、現在の社名「株式会社エヌ・ティー・ビー」(ナショナル・トータル・ビジネスの略)に変更。

現在は業種を絞り込んで、再編。

「ちゃあしゅう屋」「珈琲哲學」「古潭」「かぐや姫」「さすが家」「夢浪漫」「水戸ちゃあしゅうバーガー」の7つの和洋中の外食チェーンを展開しています。

古徳社長は「飲食はファッションと同じです。

今はちょっとしたことで流行がガラリと変わってしまいます。

常に先取りしていかなければならない」と言います。

昔は流行にはタイムラグがあったそうですが、テレビやネットの口コミで一気に味の流行が変わる時代です。

そのため、各店舗とも四季に応じて、メニューを変えるなど激しい競争に打ち勝つために、創意工夫は欠かせないそうです。

また、「繁盛する店は中にいる人が客を引き寄せているのです。

私は働く人がお客様に、お店の働く仲間に、業者さんに、そして経営者にも感謝する気持ちを持っていれば活気があり、お客様にその気が伝わるのです」と古徳社長は働く人の心得を説きます。

現在、直営、FC含め40店舗を展開するエヌ・ティー・ビーですが、古徳社長は「夢とロマンの実現をテーマに掲げて、将来100人の社長を作ることが夢」と語ります。

これまでも積極的にのれん分けを行い15人が独立を果たしたそうです。

また、震災をきっかけに地元の食材を積極的に取り入れて、地域の活性化にも貢献していこうと考えています。

独立から今年40周年を迎えた古徳社長の歩んできた道は、夢の実現へ向けての努力は報われるということを自ら実証している生きた見本でもあります。


Pick up Success in IBARAKI

“夢は必ず実現する!”

質問1茨城は起業するのに適しているか?
成功するには、同じ業種を含めみんなと仲良くすること。そうすれば業界が一体となって成長できる。私は20年前から「だっぺ会」や「食百年の会」という組織で広い視野で活動している。
質問2経営を始める際にやるべきこと、また、必要な準備は?
少なくても看板を立てる位のお金を貯めること。あとは、一歩踏み出す勇気だ。
質問3この土地で有効なプロモーション活動は?
本県は自分を含め宣伝は下手くそで、良いものだけにこだわりすぎるとつぶれてしまう現実がある。現在は店ごとにイベントを企画して、広めている。

これから起業する方への一言

“感謝する気持ちを持てば、独立しても成功する”

お客様、働く仲間、お付き合いのある業者さん、そして経営者に感謝する気持ちを持てば、独立しても成功する。計画性をもって、絶対に成功するという確信をもって、前進してほしい。

■夢は必ず成功する!と信じること
■周りのみんなに感謝する心を忘れないで、努力する
■挫折しても、原点に戻れるという信仰心や心の拠り所を大切にする



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